あら。昨日の内容とリンクしたような今日のお題。
ところで、戦乱の世のひとは、なぜ
「天下統一したい」とか
「領土を広げたい」とか、思ったんだろうか?
手を広げれば広げるほど、手薄になる。
市町村合併して、おおきくなったら、今まで便利だった町役場が
市の出先機関になって何も決められなくなってるじゃないか。
「天下統一して領土を広げれば、年貢が一杯入ってきてうっほうほ」、
なんて程度のことが目的じゃなかったのはわかる。
なにが彼らを突き動かしたのか。
そのモチベーションの元は何か?
秦の始皇帝は、統一マニアだったらしい。
国も統一したが、馬車の轍のサイズや、文字や、いろんなものを統一した。
まあ、マニアならしょうがないか。(なにが?)
2009年06月08日
2009年05月10日
2008年09月06日
「遊び」
今日の遊びと言えば、ブログのカスタマイズだ。
中身を書く方じゃなくて、デザインをいじるほう。
同窓会のホームページなのだが、誰でも更新できるように、ブログにした。
近頃はいいデザインのテンプレートがいっぱいあるのがうれしい。
ブログで、いかにホームページに近い感じで作るか、にこだわっている。
自分の所のホームページも、ブログ型にしたいんだよね。
更新が楽にできるように。
物作り好きが高じて、カスタマイズにすっかりはまってしまった。困った。
ブログデザインを更新して、確認して、だんだんきれいになっていくので、アドレナリンが出まくって食べるのも忘れている。
文章もこのくらいはまって書けるといいのだけれど。
中身を書く方じゃなくて、デザインをいじるほう。
同窓会のホームページなのだが、誰でも更新できるように、ブログにした。
近頃はいいデザインのテンプレートがいっぱいあるのがうれしい。
ブログで、いかにホームページに近い感じで作るか、にこだわっている。
自分の所のホームページも、ブログ型にしたいんだよね。
更新が楽にできるように。
物作り好きが高じて、カスタマイズにすっかりはまってしまった。困った。
ブログデザインを更新して、確認して、だんだんきれいになっていくので、アドレナリンが出まくって食べるのも忘れている。
文章もこのくらいはまって書けるといいのだけれど。
2008年08月29日
2008年07月23日
「蛙」 芥川龍之介
青空文庫「蛙」芥川龍之介
いろいろな解釈ができる物語だ。
大学教授風の蛙が、「水も草木も、虫も土も空も太陽も、森羅万象、皆我々蛙の為にある。この世界を作ってくれた神を称えよう」と一席ぶっていると、蛇が出てきて、その蛙をぱくっと咥えて去っていってしまう。
残された蛙たちは大パニック。
「蛇は?蛇も我々のためにあるのか?」
すると、年寄りの蛙が
「さうだ。蛇も我々蛙の為にある。蛇が食はなかつたら、蛙はふえるのに相違ない。ふえれば、池が、――世界が必(かならず)狭(せま)くなる。だから、蛇が我々蛙を食ひに来るのである。食はれた蛙は、多数の幸福の為に捧げられた犠牲(ぎせい)だと思ふがいい」
いろいろな解釈ができる物語だ。
大学教授風の蛙が、「水も草木も、虫も土も空も太陽も、森羅万象、皆我々蛙の為にある。この世界を作ってくれた神を称えよう」と一席ぶっていると、蛇が出てきて、その蛙をぱくっと咥えて去っていってしまう。
残された蛙たちは大パニック。
「蛇は?蛇も我々のためにあるのか?」
すると、年寄りの蛙が
「さうだ。蛇も我々蛙の為にある。蛇が食はなかつたら、蛙はふえるのに相違ない。ふえれば、池が、――世界が必(かならず)狭(せま)くなる。だから、蛇が我々蛙を食ひに来るのである。食はれた蛙は、多数の幸福の為に捧げられた犠牲(ぎせい)だと思ふがいい」
2008年05月11日
「家族の写真」
息子のお七夜の写真がある。産院で作ってくれた祝い膳を前に、家族三人。
11年前だ。
息子の大きさは、よく覚えている。
手のひらで頭を支えると、足が肘までだ。
母子手帳を見ると、身長49cmと書いてあるが、
デフォルトでがに股になっている足を伸ばして計ったのだ。
実質、35cmといったところだろう。
ちっちゃいなー。ホントにこれが大きくなるのか。と思った。
今は身長140cm。11年で2.8倍。この調子でいくと、20歳頃には390cm。
惜しい。
1歳の時の計算では、1年で約2倍になったので、20年後にはウルトラマンになれると思ったのに。
両親の顔も、若い。
わたしなど、まだ何者でもないような顔をして笑っている。
イヤ当時ですら、いっぱしのSEあるいはWebデザイナーではあったはずだ。
子どもと共に暮らす中で仕事をしていくこと、
SEから心理畑へ転換を図ること、それらができるのかどうかの見通しのたたなさ。
そんな迷いや不安もあったはずだ。
しかし、まずは目の前の赤ん坊が寝たり起きたりおっぱい飲んだり泣いたりで忙しいので、深く考えすぎることもなく、わあわあとその場その場でできることを精一杯やってきたのだ。
そうしていくうちに、不安は不安でなくなってくる。道が開けたり、子どもが成長したり、状況も刻々と変わる。
悩みは悩むから悩みが深くなる。
悩みをちょっと横に置いておかなければならないくらい、動いてみよう。
11年前だ。
息子の大きさは、よく覚えている。
手のひらで頭を支えると、足が肘までだ。
母子手帳を見ると、身長49cmと書いてあるが、
デフォルトでがに股になっている足を伸ばして計ったのだ。
実質、35cmといったところだろう。
ちっちゃいなー。ホントにこれが大きくなるのか。と思った。
今は身長140cm。11年で2.8倍。この調子でいくと、20歳頃には390cm。
惜しい。
1歳の時の計算では、1年で約2倍になったので、20年後にはウルトラマンになれると思ったのに。
両親の顔も、若い。
わたしなど、まだ何者でもないような顔をして笑っている。
イヤ当時ですら、いっぱしのSEあるいはWebデザイナーではあったはずだ。
子どもと共に暮らす中で仕事をしていくこと、
SEから心理畑へ転換を図ること、それらができるのかどうかの見通しのたたなさ。
そんな迷いや不安もあったはずだ。
しかし、まずは目の前の赤ん坊が寝たり起きたりおっぱい飲んだり泣いたりで忙しいので、深く考えすぎることもなく、わあわあとその場その場でできることを精一杯やってきたのだ。
そうしていくうちに、不安は不安でなくなってくる。道が開けたり、子どもが成長したり、状況も刻々と変わる。
悩みは悩むから悩みが深くなる。
悩みをちょっと横に置いておかなければならないくらい、動いてみよう。
2008年05月09日
「こんなロボット欲しい」&「ないものねだり」
どんなロボットが欲しいかって、
それはもちろん、お料理ロボット家庭料理バージョンだ。
ちょっとほっとするような、世話焼きなおばちゃん風な外見のがいい。
仕事をしていると、「今日は何が食べたいの」と聞いてくれたりして。
「えー、なんでもいい。あ、でも、さっぱりしたやつ」とか言ってみたい。
なんだー。子どもの頃は普通にやっていたことなのに。
今はそれが、ないものねだりだよ。
それはもちろん、お料理ロボット家庭料理バージョンだ。
ちょっとほっとするような、世話焼きなおばちゃん風な外見のがいい。
仕事をしていると、「今日は何が食べたいの」と聞いてくれたりして。
「えー、なんでもいい。あ、でも、さっぱりしたやつ」とか言ってみたい。
なんだー。子どもの頃は普通にやっていたことなのに。
今はそれが、ないものねだりだよ。
2008年05月08日
2008年05月06日
「信じられなーい」
某大学の准教授の暴言ブログ騒動の行く末がものすごく気になっている。
というより、この准教授が大手IT企業の元SEだったにもかかわらず、ブログを「マスコミ」と捕らえていなかったらしい(引き出しの中にしまってある日記みたいに、何を書いても良いものと思っているらしい)ことに、「信じられなーい」と感じるのだ。
インターネットの爆発的な発達と簡易化は、かつてはお金持ち・大企業しか持つことができなかったマスコミュニケーションを、誰でも持てるようにした。それはいい。
しかし、それを使うための知恵とモラルは置き去りのままだ。
「ペンは剣よりも強し」と言うが、それは取材対象が強者ばかりでなく、弱者であっても切り裂いてしまう。
プロの記者になれば、自らのペンの重さを教えられ、学びとり、訓練して記事を書き、デスクの目を通してはじめて掲載される。
ブログを書くときには、それだけのことを、ひとりでやらねばならない。この准教授にはその覚悟がなさ過ぎる。
ネットリテラシーは、読み書きの技術の問題ではない。
自分が得たパワーをどう使うか、という表現の知恵とモラルの問題なのだ。
というより、この准教授が大手IT企業の元SEだったにもかかわらず、ブログを「マスコミ」と捕らえていなかったらしい(引き出しの中にしまってある日記みたいに、何を書いても良いものと思っているらしい)ことに、「信じられなーい」と感じるのだ。
インターネットの爆発的な発達と簡易化は、かつてはお金持ち・大企業しか持つことができなかったマスコミュニケーションを、誰でも持てるようにした。それはいい。
しかし、それを使うための知恵とモラルは置き去りのままだ。
「ペンは剣よりも強し」と言うが、それは取材対象が強者ばかりでなく、弱者であっても切り裂いてしまう。
プロの記者になれば、自らのペンの重さを教えられ、学びとり、訓練して記事を書き、デスクの目を通してはじめて掲載される。
ブログを書くときには、それだけのことを、ひとりでやらねばならない。この准教授にはその覚悟がなさ過ぎる。
ネットリテラシーは、読み書きの技術の問題ではない。
自分が得たパワーをどう使うか、という表現の知恵とモラルの問題なのだ。


